ミヤマセセリ |
詩人、歌人、俳人、小説家、評論家、演劇家、映画監督、写真家…。
数え上げたらきりがない。どれもがすばらしい才能に恵まれていた。
今でも記憶に生々しいのはあの独特の風貌と青森弁だ。
ある本に寺山のもとに、評論家の三浦雅士がしばしば訪れ激しい文
学論を戦わせた話が痛快に綴られていた。
三浦さんは弘前の出身だ。
三浦さんに会ったとき「さぞかし青森弁と弘前弁が飛び交ってすごい
文学論議だったんでしょうね」と聞いてみた。
すると三浦さんはすかさず「冗談言わないで下さいよ。標準語ですよ」
と答えた。ちょっと不愉快そうな表情だった。
それでも僕は寺山のあの青森弁が頭の中をぐるぐる回って「ほんとか
なあ」と信じられなかった。
そう言えば、寺山の短歌に
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
というのがあった。
ガンの僕には
裏町よりピアノを運ぶ癌の父
という俳句も何故か心惹かれる。
寺山は「下北半島は斧のかたちをしている。斧は津軽一帯にふり上げ
られている」と書いている。
ふと、春の蝶ミヤマセセリが津軽で舞い始めるのはいつの頃なのだろ
うかと思った。